2011年2月21日月曜日

「頭脳なき国家の悲劇」

軍事アナリストの小川和久氏は1993年に『頭脳なき国家の悲劇』(講談社)という本を書き、日本のシンクタンクについて多面的に分析し、その貧弱さを嘆いた。経済規模では世界の二番(昨年は三番)といわれる先進国日本であるが、頭脳を育てるシンクタンクの規模やレベルでは先進国のなかで最も遅れており、少なくとも規模の面では隣国の韓国や中国に比べてさえも遙かに遅れている。
筆者が前職で務めていた「総合開発研究機構」(NIRA)は、日本で唯一の省庁を跨る総合シンクタンクで、内閣府傘下の特殊法人であり、多くの研究成果を排出し、国内では勿論のことで海外でも有名であった。
2003年に同研究所が初めて博士レベルの若手研究者を公開募集し、幸運にも筆者がわずかな数人と一緒に選ばれた。それまでに東北アジア地域研究で政策研究の成果(200102年に東京財団で「東北アジア開発銀行」の設立に関する政策研究を行い小泉政府に政策提言を行った)が評価されたと思う。同研究所の最初で最後の外国人研究者であった。
しかし、同研究所は規模が小さく、研究者を育てる能力も弱く、多くの研究プロジェクトは大学や外部の識者に依頼し、内部には研究者らしい研究者は数人程度であり、多数はプロジェクトのコーディーネーターであった。
日中韓の共同研究プロジェクトの関係で韓国や中国を尋ねて見ると、政府系シンクタンクはかなりの規模のものであった。韓国では一つのシンクタンク(例えばKDIKIEP)にPh.Dレベルの研究者が百名前後いた。中国でも中国社会科学院だけでも4千人くらいの研究者がいるという。その他も各省庁のシンクタンクに数百名規模の研究者がいるという。これを見るだけでも、将来日本は中国や韓国との競争で負けるしかないと思っていた。もちろん、人数が多ければ強いと言うことではないが、しかし余裕を持って国の将来をじっくり考えることができる知的集団とそれをサポートできる財政的な基盤は不可欠であろう。
残念ながら小泉首相の構造改革で2007年から財団法人化(民間)を余儀なくされ、予算と人員を削減せざるを得なくなった。ほかの国または省庁レベルのシンクタンク(名前は敢えて取り上げないが、予算問題でまともな政策研究プロジェクトが出来ない多くの研究所)も似たような運命に会い、予算を削減され、雑誌を発行する資金すら不足しているという。
「知財立国」を掲げながらも、知的国力を削ぐような政策をとっていたら、もともと「戦略なき国家」と言われる日本が、ますます方向を喪失してしまうのではなかろうか。近年の日本の対外政策や内政における多くの失敗は、まさに「戦略なき、頭脳なき国家」の失敗ではなかろうか。
民主党政権は政治主導を唱えながらも戦略や政策をサポートできる頭脳集団が欠如し、戦略や政策がないか、またはよくぶれるのである。自民党時代ではせめて官僚が頭脳集団で政策立案ができたので今よりは増しだった。
明治維新が世界的な奇跡を作り、日本を後進国から数十年で先進国に一変させたのは、他の要因も大きいだろうが、頭脳を相当に重視したからだと言われている。明治政府は世界の頭脳を集める政策をとり、明治7年には政府だけでも世界的な外国人頭脳を五百二十人ほど雇い、民間を含めると千人以上を相当高い給料で雇っていたという。それと同時に、国内のリーダー達や頭脳を欧米に派遣して、先進的な技術と文化を学び取り、その人達が日本の富国強兵に大きく貢献したのである。歴史に学ぶ姿勢を忘れてはならない。

2011年2月16日水曜日

米中の実利外交と日本の「失われた10年」

     
    李 鋼哲
新年早々、胡錦濤国家主席が1921日まで訪米し、オバマ大統領との首脳会談が行われ「米中共同声明」も発表された。日本のマスコミ報道では米中関係の問題点に主な焦点が当てられ、如何にも偏っているかに見えて苦笑いしか出てこない。米中は見事な実利外交に行っているが、日本は第三者的に評論ばかりでいいのか、筆者は憂いを隠せない。
「日本の国益」を口癖のように唱えている日本の一部政治家やマスコミ、「有識者」などは冷静に「本当の日本の国益は何か」を真剣に考えるべきであり、米中の「実利外交」から学ぶことが優先だろう。中国に対して「一党独裁」、「覇権」、「人権」、「価値外交」という脅威論的な思考経路から脱却できず、対中関係では「失われた10年」と言うのが適切だろう。
今度の米中首脳会談は、中国にとって画期的な外交成果と言えるだろう。数年前から米国で言い出した「G2」(中国は「受け入れない」という)が、中国のGDPが昨年末に日本を超え世界第二位(購買力平価では日本を二倍以上超え米国に匹敵するとの試算もある)となったことを踏まえ、実質的には世界の二つの超大国が手を結ぶ第一歩を踏み出したことだろう。
 米国は一方では「価値観外交」で中国に文句を言いながらも、他方では「国益優先」の実利外交を巧みに、そして戦略的に進めている。それはブッシュー前政権でもオバマ現政権でも変わらない。今度の胡氏の訪米で450億ドルのボーイングも含めた大型買付、対米投資32.4億ドルも合意され、これは米国で20~30万人の雇用創出に繋がるという。対中投資でも2010年末までの累積で5.9万件(投資金額652億ドル)に達し、米国は中国経済成長の果実を着実に享受している。今後もしばらくは米中の実利外交は両国に大きな利益を生み続けるに違いない。
 これと対照的に日本は79年から08年まで日本は対中国ODA最大の供与国(2008年までの累計約3兆6千億円)で中国経済発展を支えたという有利な立場にありながらも、それに見合う果実は十分に享受できただろうか。答えはNOである。この十年間に対中国実利を応分に獲得できず「失われた10年」と言っても過言ではないだろう。日中関係は「政冷経熱」という言葉がよく使われているが、筆者はかつて「政冷経涼」という用語で日中関係の現実を分析したことがある。つまり、政治関係も冷たければ、経済関係も涼しくなりつつあるということ。反日デモやマスコミの過剰な嫌中報道で日本企業の対中国戦略は大きな圧力を受けていることも見逃せない。
例えば、日中両国の貿易や投資の数字だけみれば確かに「経熱」といえるだろう。1999-2009年までの10年間、日本の対中国貿易は輸出が234億米ドルから1,096億米ドル、4.7倍増加、輸入が323億米ドルから1,045億米ドル、3.2倍増加した。この倍率をみると日本の対中国貿易は日本と他の国との貿易に比べると急成長したのは間違いない。しかし、同時期に米国の対中国貿易は輸出が129億米ドルから695億米ドル、5.4倍増加、輸入が420億米ドルから2,517億米ドル、6.0倍に増加した。また、同時期にEUの対中国貿易は輸出が209億米ドルから1,143億米ドル、5.5倍増加、輸入が320億ドルから2,518億ドル7.8倍増加した。また隣の韓国は対中国経済関係が最も緊密になった。対中国貿易では輸出が172億米ドルから1,003億ドル、5.8倍増加、輸入では78億米ドルから537億米ドル、6.8倍増加した(中国商務部の統計資料に基づいて試算)。対中国投資でも、米国、EU、韓国などは中国市場に官民共同で乗り込み、巨大な「実利」を得ている。
中国という畑を耕すのに最も貢献した日本は、収穫時期に来ているはずなのに他国がもっと収穫しているのではないか。小泉政権の「靖国外交」から安部政権の「価値観外交」、そして現在の菅政権の「対米基軸外交」などが、日中間の距離を大きく引き離したことと無関係ではない。
もちろん中国の対日外交も成功したとは言えない。しかし、中国からみると、日本との経済関係で得る利益は欧米やその他の地域と比べると著しく低下している。現状の日中関係のままだと、今後の10年間も「経涼」はさらに進むかも知れない。なぜかというと2008年以降、日本の対中国ODAの9割を占める円借款は終了し、それでも中国にとって日本は重要な経済的なパートナーであることは間違いないが、欧米やアジアの他の地域に比べて、その存在感は引き続き低下するかも知れない。