2009年5月30日土曜日

盧武鉉前大統領の冥福を祈る!

韓国の盧武鉉前大統領が、突然自殺したとのニュースを聞いて、驚きを禁じ得なかった。韓国では大統領が暗殺されたり、大統領経験者が刑務所に入ったり、裁判を受けたりすることは、今まで何度もあったので、盧武鉉前大統領が不正資金事件で取り調べる受けることまでは、普通だと思っていたが、自殺までしたのは今度がはじめてであり、世間を驚かせたのは間違いない。
 私は故盧武鉉大統領に対して、わりと好意的に評価していた。なぜならば、彼が大統領就任後に、日本で出版された『私は韓国を変える』(朝日新聞社2003年)という盧武鉉が書いた本を読んで、彼の庶民的でありながらも、立派な政治理念を持ったことに感銘を受けたからである。盧武鉉大統領前の金大中大統領も私がとっても尊敬する政治家であり、懐が深い偉大なリーダーだと思っていて、韓国にはよいリーダーが続々と生まれるのだと、嬉しく見守っていた。
 私はかつて盧武鉉大統領に大きな期待を掛けていた。今から8年前、2001年に私は『東北アジア開発銀行』構想に関する政策研究に携わり、その成果としての政策提言をもって、同年7月29日に日本政府の内閣府を訪れ、福田康夫官房長官(当時)に面会し、小泉純一郎首相(当時)宛ての政策提言をブリーフィングしたことがある。
  その年末に盧武鉉が大統領に選出され、翌年2月に就任したが、盧武鉉大統領は選挙公約で、大統領に当選されたら「東北アジア開発銀行」設立を推進することを約束していた。それを受けて、韓国ソウルで大統領を支持する政治家も含まれた東北アジアに関する学会で、2月20日に国際シンポジウムを開催したが、そこに私が招待され、日本で行った「東北アジア開発銀行」設立に関する研究報告をもって基調講演を行ったことがある。
 私たちの研究チームが推進する、東北アジアの平和と繁栄に向けてのポジティブな考え方と、盧武鉉大統領の考え方がこの点では一致したので、私は盧武鉉大統領に期待を掛けていたのである。
 故盧武鉉前大統領は、その選挙公約を実現できなかったのは残念だが、彼は在任期間中に経験の不足から大変な苦労をしたが、それにしても彼は韓国の政治構造や社会構造を変える上で重要な役割を果たしていると、私は高く評価している。盧武鉉大統領は韓国の民主政治を大きく前進させ、金権政治を改造することができたと見るべきであろう。また、南北和解のために平壌訪問を金大中元大統領に次いで実現し、開城工業団地を中心とする南北経済交流や政治対話も一歩前進させた。
 残念なことは、彼は「東北アジア開発銀行」構想を実現に向けて前進させることはできなかったし、彼の著作で述べていた近隣の日本と中国との関係を大きく前進させることができず、逆に後退した感も否めない。彼は自分の著作で、「韓国は、長い間に大国のなかに挟まれて、「鯨(クジラ)の闘いの中の海老」(諺)の地位を甘受するしかなかったが、これから韓国は「鯨の闘いの中の海豚(イルカ)になり、大国の争いのなかで賢い仲裁者になる」と語っていた。つまり、周辺大国のなかで仲介的な役割を巧みに果たし、東北アジアの平和と繁栄の未来を切り開きたいとの意味であった。しかし、彼の在任中に、米国との関係が在韓米軍の削減問題も含めて信頼関係が後退し、日本とは竹島(独島)問題で関係が悪化し、中国とは「東北工程」(高句麗歴史の帰属)問題で関係が悪くなったため、理想とは逆の方向で対外政治が動いてしまった。もちろん、これらの問題は韓国盧武鉉前大統領だけの問題ではないと言っても、彼は柔軟で巧みな外交ができなかったのは明かである。
 私は2006年4~5月まで、韓国の対外経済政策研究院(KIEP)に1ヶ月ほど客員研究員として滞在したことがある。ちょうどその時期に、日本との間で竹島問題で厳しく対立していた。そこで、盧武鉉前大統領はテレビ演説を行ったのだが、日本に対して厳しい対応をするよう韓国民に呼び掛け、日本を非難していた。その演説を聞いて、私はビックリした。日本に対して宣戦布告するような口調であったからである。日本との領土問題に対して、大統領として韓国民の意見を発表することは当然だと思うが、それにしても、一国の大統領が隣国との領土問題で「宣戦布告」のような演説を行うのは、一国の外交としては「大失敗だ」と私は当時から考えていた。このような問題は、外交部のスポークスマンや、外交部長レベルで行うべきであり、大統領までが隣国にこのような宣言を出すとなると、その後は日本との関係を改善する道が閉ざされてしまうのであるのではないか、と思っていた。
 一国のリーダーというのは、内政が重要なのは言うまでもないが、外交能力に欠けていたら、国益がダメージを受けることも知らないといけないと思う。
 本日はここまで書いて、次回に、なぜ韓国では大統領経験者が続々と不正という名目で不遇に直面するのか、について考えてみたい。

2007年7月28日土曜日

中国化するモンゴル

モンゴルといえば、日本人には親しみを感じる国である。モンゴルから来た相撲選手が人気を集め、朝青龍の連勝を励ますパーティに招待された時に、日本の国会議員が20名以上、大勢の名人達も参加して盛り上げていたのを見てびっくりした。日本人には蒙古斑があるといわれ、文化的にもつながりがあるだろうが、東アジアのなかで日本との揉めことが少ない唯一の近隣国がモンゴルである。
 そのモンゴルが今は市場経済の波に乗り出して、好調な経済成長でわくわくしているが、そこには日本の陰は薄く、中国の影響は益々強まっている。3年前モンゴル訪問の際に外務省関係者達に話を聞いたら、「日本のODAには感謝するが、直接投資や輸出市場提供がもっと好ましい」と言う。モンゴルに投資する日本企業は少なく、中国企業の投資の1割程度という。市街には中国人観光客で溢れ、中国製品や中国レストランが目立つ。
 中国化しているモンゴル経済の現状について、モンゴル人の一部は不安を感じているものの、経済成長率が8.4%(2006年)達成できたのは中国経済のダイナミズムの影響だと考えている人が多い。対外投資貿易促進機構のS.オトゴンバト副主席は、「モンゴルはカナダのようで、モンゴルと中国が連携すれば、カナダと米国のような関係になりうる」という。10年か20年後はそれが現実になるかも。
 今年は「モンゴルにおける日本年」であり、政府も民間も両国交流活性化に力を入れている。日本人のなかでモンゴルが好きという人は多いかも知れないが、実際にモンゴルを訪れる人数がそれほど多くない。今年の4月に北陸大学の入学式の際、バガバンディ前大統領をお招きして講演会まで開催したが、夏休みのモンゴル訪問プログラムへの参加希望者は少なく、寂しさを感じる。
 『北陸中日新聞』2007年7月27日(金)夕刊「紙つぶて」欄に掲載