北陸大学教授 李鋼哲
毎年8月になると、広島・長崎の原爆被爆に関連する報道で日本のマスコミは余念がない。平和 を祈願する日本国民の声には傾聴すべきものが大いにある。ところが、日本は唯一被爆国である歴史を記憶するとともに、加害者であった歴史も合わせて記憶す べきであり、そして近隣の諸国とともに戦争被害者の気持ちを分かち合う努力をしてこそ、平和の祈願が近隣諸国と世界に伝わるだろう。
「核兵器のない世界を!」、「戦争のない世界を!」。日本人のみならず世界の多数の人は同じ心情を持っているはず。
今年の4月5日、アメリカ大統領オバマ氏が、核廃絶に向けて、チェコのプラハで大勢の市民に向けて演説を行った。「今日、私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します」と。
世界をリード(または制覇)する米国の大統領の演説であるだけに、人類に希望を持たせる面も確かにあるだろう。
しかし、核兵器をなくす理念を主張するときに、「では、なぜ核兵器は開発・拡散したのか?」を冷静に考えなければならない。核兵器は戦争と冷戦の産物にほかならない。
今日、私たちが暮らす東北アジア地域では、まだ戦争も冷戦も終わっていない。朝鮮半島はまだ分断と「停戦協定」の状態にあり、中国と台湾は分裂状態にある。そして、イデオロギー対立は今なお少なからずの人々の意識を支配している。
核 実験を行った朝鮮は当たり前に非難を受けるべきかも知れないが、核兵器を大量に保有し、または「核の傘」に守られる周辺の国が、他人に「武器を捨てろ」と 言っても、それは説得力に欠ける話であり、実現不可能に近い。核兵器をなくすためには、まず「停戦協定」を「平和協定」を変えることが先決であろう。南北 統一をしたくてもできない朝鮮半島、両岸統一をしたくてもできない中国。その鍵を握っているのは、核廃絶の鍵と同じく、アメリカが持っているのではない か。
『北陸中日新聞』2009年9月9日掲載
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