軍事アナリストの小川和久氏は1993年に『頭脳なき国家の悲劇』(講談社)という本を書き、日本のシンクタンクについて多面的に分析し、その貧弱さを嘆いた。経済規模では世界の二番(昨年は三番)といわれる先進国日本であるが、頭脳を育てるシンクタンクの規模やレベルでは先進国のなかで最も遅れており、少なくとも規模の面では隣国の韓国や中国に比べてさえも遙かに遅れている。
筆者が前職で務めていた「総合開発研究機構」(NIRA)は、日本で唯一の省庁を跨る総合シンクタンクで、内閣府傘下の特殊法人であり、多くの研究成果を排出し、国内では勿論のことで海外でも有名であった。
2003年に同研究所が初めて博士レベルの若手研究者を公開募集し、幸運にも筆者がわずかな数人と一緒に選ばれた。それまでに東北アジア地域研究で政策研究の成果(2001~02年に東京財団で「東北アジア開発銀行」の設立に関する政策研究を行い小泉政府に政策提言を行った)が評価されたと思う。同研究所の最初で最後の外国人研究者であった。
しかし、同研究所は規模が小さく、研究者を育てる能力も弱く、多くの研究プロジェクトは大学や外部の識者に依頼し、内部には研究者らしい研究者は数人程度であり、多数はプロジェクトのコーディーネーターであった。
日中韓の共同研究プロジェクトの関係で韓国や中国を尋ねて見ると、政府系シンクタンクはかなりの規模のものであった。韓国では一つのシンクタンク(例えばKDIやKIEP)にPh.Dレベルの研究者が百名前後いた。中国でも中国社会科学院だけでも4千人くらいの研究者がいるという。その他も各省庁のシンクタンクに数百名規模の研究者がいるという。これを見るだけでも、将来日本は中国や韓国との競争で負けるしかないと思っていた。もちろん、人数が多ければ強いと言うことではないが、しかし余裕を持って国の将来をじっくり考えることができる知的集団とそれをサポートできる財政的な基盤は不可欠であろう。
残念ながら小泉首相の構造改革で2007年から財団法人化(民間)を余儀なくされ、予算と人員を削減せざるを得なくなった。ほかの国または省庁レベルのシンクタンク(名前は敢えて取り上げないが、予算問題でまともな政策研究プロジェクトが出来ない多くの研究所)も似たような運命に会い、予算を削減され、雑誌を発行する資金すら不足しているという。
「知財立国」を掲げながらも、知的国力を削ぐような政策をとっていたら、もともと「戦略なき国家」と言われる日本が、ますます方向を喪失してしまうのではなかろうか。近年の日本の対外政策や内政における多くの失敗は、まさに「戦略なき、頭脳なき国家」の失敗ではなかろうか。
民主党政権は政治主導を唱えながらも戦略や政策をサポートできる頭脳集団が欠如し、戦略や政策がないか、またはよくぶれるのである。自民党時代ではせめて官僚が頭脳集団で政策立案ができたので今よりは増しだった。
明治維新が世界的な奇跡を作り、日本を後進国から数十年で先進国に一変させたのは、他の要因も大きいだろうが、頭脳を相当に重視したからだと言われている。明治政府は世界の頭脳を集める政策をとり、明治7年には政府だけでも世界的な外国人頭脳を五百二十人ほど雇い、民間を含めると千人以上を相当高い給料で雇っていたという。それと同時に、国内のリーダー達や頭脳を欧米に派遣して、先進的な技術と文化を学び取り、その人達が日本の富国強兵に大きく貢献したのである。歴史に学ぶ姿勢を忘れてはならない。