2010年10月27日水曜日

일본을 통해 세계를 보자

월간지 [아리랑]2003년 06월 30일 (137호)


리강철(李鋼哲)씨는 중국 길림성 연길현에서 태어난 조선족으로 북경의 중앙민족대학에서 철학, 대학원에서 공산당의 건설에 관하여 공부, 中國工運學院에서 노동조합에 대해 가르쳤었다. 8형제중의 막내로 시골에서 가난한 살림이었으나 일본어를 독학했고 대학과 대학원에서 영어와 러시아어를 공부했다. 그러던 중 1986년 호요방 당총서기 실각, 1989년 천안문사건 등으로 예측 불가능한 중국 정치에 회의를 느꼈다. 또한 대학원에서의 연구 제한, 학생운동의 진압, 교육 방침의 변경 등 인텔리들의 충격은 적지 않은 것이었다. 적지 않은 나이에 중국에서의 '자리'도 버리고 일본으로 건너와 일본어학교부터 다시 다니기 시작했다. "일본을 통해서 세계를 보자"라는 생각했다. 물론 다른 학생들처럼 심야 아르바이트도 해가며 학교를 다녔다. 立敎대학에서 경제학(동북아시아 개발 연구)을 전공하고 지금은 일본 생활 13년째를 맞고 있다. 조선족의 의미는 중국에서 태어나 우리의 조국은 중국이라는 교육을 받았지만 문화적, 민족적으로는 조선인, 조선족의 피를 물려받은 의미라고 한다. 중국은 미국이나 호주처럼 다민족국가라 조선족이라 해서 받은 불평등은 없다고 한다.

중국 조선족의 대이동

90년대 이후 동북아시아의 국제 환경은 급속히 변화해 중국의 대외개혁, 개방과 시장경제의 가속화는 중국 조선족 사회에 큰 영향을 불러 일으켜 바다를 넘어 한국, 일본을 비롯한 세계 여러 곳으로 조선족의 대이동이 시작되었다. 현재 일본에 있는 조선족은 수만 명을 넘고 있다. 유학생, 취학생, IT 기술자들, 교육·연수자들, 노동자, 투자 경영자 등 일본의 여러 분야에서 활약을 하고 있다. 그들은 일본에서 활약함과 동시에 중국, 남한, 북한을 비롯하여 구미지역까지 폭넓은 네트워크를 가지고 3개국(중국, 한국, 일본)의 언어와 문화를 가진 장점을 살려 동북아시아 지역의 협력과 평화 발전에 기여하고 있다.

리강철씨의 그간의 업적을 살펴보면 1995년 일본 재류의 중국조선족의 「교류, 협력, 공동발전」을 목적으로 설립된 비영리·민간 국제교류단체 天池協會의 부회장으로 활약하고 있고 2002년 6월의 동경재단의 연구원으로 실시한 -「동북아시아 개발은행」의 창설과 일본의 협력정책에 관한 조사연구 프로젝트 - 이는 아시아개발은행, 歐洲부흥개발은행 및 중국, 한국, 북한, 러시아 등에 대한 현지 조사에 의해 「동북아시아개발은행」의 창설을 위한 여러 조건을 제시하여 동북아시아에 있어서의 평화공존과 공영을 목적으로 동북아시아지역의 개발에 대한 일본의 협력정책에 관하여 구체적인 제안서를 작성한 것이다. 일본을 비롯한 관계국들의 정책 논의를 환기시켜 「동북아시아개발은행」의 창설을 실현화를 기한 것이었다. 2002년 이 프로젝트는 후쿠다 관방장관을 만나 일본 고이즈미 수상에게 정책 제안으로 전달되었다.

동북아시아발전을 위한 인재개발 양성

그 가 일본에 올 당시만 해도 냉전시대여서 동북아시아라는 개념조차 없었다고 한다. 한국의 노무현 대통령 정부의 10대 국정운영과제에 포함된 "동북아 중심 국가 건설"에 을 계기로 그의 활동은 더더욱 바빠지고 있다. 북한에서의 4·15행사 참가, 한국에서의 동북아시아 머셜플랜 심포지엄에도 참가하는 등 바쁜 일정을 보내고 있다. 그가 바라는 것은 국적에 얽매이지 않고 국경과 민족을 넘은 "아시아인"이라는 키워드이다. 해서 2002년 11월 발족시킨 것이 <신세기 아시아인개발연구센터>이다. 국제적인 인재교류 프로그램을 활발히 움직여 진정한 아시안을 키워내고자 한다. 일본에 있는 코리안들의 네트워크를 만들고 있다. 일본에 있는 조선족은 남과 북 모두 대화할 수 있으므로 그 강점을 살리고 있는 것이다. 이를 기초로 재일코리안 집단과 재일 챠이니즈 집단을 연결시킬 수 있는 채널을 만들고자 하는 것이 그의 당면 계획이다. 자신조차도 어느 나라 사람인지 모르게 되어 스스로 아시아인이라고 부르고 있다고 말할 정도로 다방면에서 굵직한 활동을 펼치고 있는 그의 어깨에서 동북아시아의 미래와 번영의 작은 실마리가 조금씩 조금씩 풀려나가고 있다.

월간아리랑(http://www.arirang21.com)

联合国制裁朝鲜看不到出口

联合国制裁朝鲜看不到出口
——东北亚问题专家李钢哲教授谈朝核危机

[中文导报]2006年10月3期

■ 本报记者 杨文凯

朝鲜在10月9日宣布实施地下核试验并取得成功。朝鲜拥有核武的事实,击碎了国际社会推动朝鲜半岛无核化的努力,也打破了东北亚地区的战略平衡。对于朝鲜核试验引发的各种影响,以及未来的区域调整,旅日中国朝鲜族学者、东北亚问题专家李钢哲教授发表了自己的看法。
核试验消息发布以后,包括日本在内的一些海外媒体质疑朝鲜的核试验是否真正成功。李钢哲认为,朝鲜拥有相当的技术水平,本次核试验成功的可能性极高。对 朝鲜而言,启动核试验的动机,实出于国家安全没有保障。在此前提下,朝鲜不惜倾全力保有核抑制力,来获取与美国抗衡的能力。此前,朝鲜一直想单独跟美国展 开双边会谈,希望能把半个世纪前的朝鲜半岛停战协定变成和平条约,但朝鲜的愿望被拒绝。因此,在朝鲜看来,美国一直对其实施敌对政策,目的就是颠覆政权。 本次,朝鲜大胆实施核试验,也许是最后一张外交牌。虽然朝鲜方面表态不会首先使用核武器,但如果外交牌不起作用,朝鲜受到进一步压迫,狗急跳墙之馀,不排 除有转向攻击方向的可能性。
核试验对朝鲜带来的直接影向确实很严重。一方面,朝鲜在国际上完全孤立;另一方面,全面制裁将使朝鲜经济愈发糟 糕。但朝鲜在核试验之前一定预计到了各种最坏的可能。印度、巴基斯坦在1998年实行核试验后也受到联合国制裁,所以朝鲜受到制裁并不是特殊情况。从印, 巴的经验来看,制裁是一时的,扛一下就过去了,美国后来出于反恐的需要,还是跟印度,尤其是与巴基斯坦恢复了关系,并默认他们成为国际核俱乐部成员。相 反,伊拉克因为没有核抑制力,竟成了美国武力攻击的刀下肉。朝鲜的选择,也是出于国际社会的前车之鉴。
李钢哲指出,以美、日为首,包括中、俄 在内,世界各国一致同意对朝鲜进行严厉制裁,联合国似乎在朝核问题上达成了空前一致。但通过制裁决议,只是问题的前半段,是入口,而制裁的目的是什么,则 是问题的后半段,是出口。现在,联合国对朝鲜实施的制裁还看不到出口——也就是说,制裁朝鲜最后想达到什么目的,莫衷一是。李钢哲分析说,朝鲜核试验成 功,成为拥核国家已是事实。国际制裁的目的不外乎三种:1、迫其放弃核武器;2、促其不再继续进行核试验;3、拉其加入核不扩散条约。从历史经验来看,一 个国家一旦拥有核武器能力是不可能放弃的,美、中等大国同意继续以和平方式来解决朝核危机,最好的结果就是促使朝鲜重返国际核不扩散条约——朝鲜在 2002年因美国停止为其轻水反应堆供应重铀而宣布脱离条约。
从这个角度来预测,由中国推动的朝核问题六国会谈机制,虽然因为朝鲜强行推进核 试验而形同虚设,被许多国际政治观察家认为已经崩溃,但如果美国与朝鲜不是兵戎相见,国际社会与朝鲜还需要讨价还价,那么六方会谈的机制就会全新启动,尽 管现状是无限期终止。现在的关键是看下一步怎么走,对朝鲜和美国都很重要。
在朝鲜问题上,中国一直扮演调停者角色。但是朝鲜从发射导弹到实施 核试验等一系列作为来看,中国的调停活动是失败的,中国对朝鲜的影响力日渐式微。朝鲜核武化,深刻影响中国的战略利益。李钢哲指出,如果国际社会没有切实 的抑制措施,朝鲜实施连续性核试验可能导致多米诺骨牌倒塌的连锁效应,促使日本、韩国,甚至台湾的核开发进程,引发地区核竞赛,深刻影响中国的战略利益。 如果美朝关系走向最坏结果,发生武力冲突,除了大量难民以外,朝鲜政权的崩溃将使中国失去抗衡美国的地缘缓冲和政治屏障。但是,如果朝鲜的核试验能够发挥 战略抑制作用,形成某种程度的力量平衡,维持住朝美关系及半岛形势的现状,对中国来说又是一件好事。所以中国的立场很微妙,对朝鲜既要强烈抗议,实行制 裁,又必须彻底排除行使武力的可能性——这就是唐家璇紧急出访美国和俄国的任务及目的。
日本对朝鲜核试验如临大敌,马上启动了禁止资金、货 物、人员往来的“三禁”制裁措施;韩国政界和知识界的一部分人士反而认为朝鲜拥有核武只是针对日美,不会针对韩国。在朝鲜核试验的催生和牵引下,随著东北 亚各国战略利益的转移,过去的同盟会变形,新的联合可能产生。对于东北亚地区整体而言,最大的利益就是维护和平与稳定。这需要运用各种智慧和手段来应变危 机,处理关系。

朝鲜经济改革走向何方

日刊文章
朝鲜经济改革走向何方
●参考消息报社出版 ●参考消息(CanKaoBao)网站编辑 ●发行信息:2007年11月03日 星期六 第17794期

( 2007-11-03 第03版 ) 【收藏】【返回首页】【关闭】

【日本<时事解说>周双刊10月16日一期文章】题:北朝鲜经济改节行至何处?
(作者日本北陆大学未来创造学系教授李钢哲)

受朝核问题六方会谈进程的影响.北朝鲜的经济体制和政治体制今后将如何变化?这个课题无疑已经在周边各国引起了广泛关注。

下面,笔者将以北朝鲜从上世纪80年代就陆续推进的所谓的“改革开放”政策为焦点,分析北朝鲜所面对的经济困难.考察北朝鲜的对外经济关系。

屡试“改革开放”未入发展正轨

北朝鲜开始尝试进行对外开放.其实从上世纪80年代中期就开始了。但其进程可以说是屡次受挫,因此直到现在仍然没有进入正轨。

1984 年.北朝鲜模仿中国的“合并法”制定了“合营法”,谋求引进外资。1991年,随着图们江地区开发的国际性工程不断推进,北朝鲜设立“罗津一先锋自由经济 贸易区”.强化了引进国外资本的政策,直到90年代中期.该项政策取得了一定成果。之后.北朝鲜在靠近平壤的南浦港周围引进了不少韩国企业。2002年北 朝鲜又公布了新义州经济特区计划,但此后特区计划搁浅。

1998年韩国现代集团董事长郑周永访问平壤,开南北交流之先河。同年.北朝鲜便 实施了“金刚山观光开发特区计划”.取得了面向韩国对外开放的首次成功。随后.2000年6月金大中总统访问平壤。首次南北首脑会谈成功举行。2001 年,开城工业园区开发计划正式启动.直至现在它都是南北交流事业有口皆碑的成功典范。

近20年来.北朝鲜对外开放有许许多多或成功或失败 的例子。然而.平壤对开放的态度究竟如何?通过客观地观察这一系列的举措.平壤应该是希望由点到线地推进对外开放。但是.这些对外开放政策.充其量不过是 解决国内经济困难的实验性举措,人们无法从中看到明确的改革和开放路线。从2002年“7·1措施”前后北朝鲜推行的综合的对外开放措施看.北朝鲜是被迫 “改革”和被迫“开放”.而并非出于自愿和拥有强烈愿望地进行“改革开放”。


发表“强国”构想力图重建经济

朝鲜政府没有出台重建经济的政策,仍然把投资优先拨给国防部门。军事成为北朝鲜的第一国事。

直到1998年.北朝鲜又开始重新整理深陷危机的经济。金正日在1998年发表了“强盛大国’.的构想.并以此作为金正日时代国家建设的目标。“强盛大国’.的意思就是国力强盛、人民安康。其三大支柱是“政治和思想强国”、“军事强国’和“经济强国”。

在 1999年4月举行的最高人民会议第十届二中全会上,北朝鲜时隔5年首次公布了1998年度国家预算使用情况和1999年度国家预算计划。这也让世界第一 次通过公开渠道得知北朝鲜国内经济处于何等艰难状况:当时北朝鲜的经济规模已经缩水至不足80年代后半期的一半。这次会议通过了<人民经济计划 法>,准备大张旗鼓地重整经济。

然而.<人民经济计划法>的制定仅仅是通过法律宣布北朝鲜要坚持计划经济。对“改革开 放”路线的同义词“市场经济”,北朝鲜依然持否定态度。劳动党机关报<劳动新闻>和理论杂志<劳动者>联合发表社论称,要将自立 的民族经济路线坚持到最后。社论否定了改革开放路线.认为应该优先发展重工业,呼吁重点投资和自力更生。

另一方面.北朝鲜还在“选择和集 中”的原则下.断然进行了行政改革和企业重组。在经济重建的过程中.先精确调查并选定重点行业.然后进行重点投资。这是在国内资源不足的情况下.为充分有 效地利用国内资源而采取的选择和集中相结合的办法。把农业、电力、煤炭、金属和运输作为_主要投资行业,采取优先扶植、优先发展的政策。(上)

주정부 부주장 서문순기 재일본조선족기업가대표단을 회견

연변일보 2008년8월30일

29일, 주정부 부주장 서문순기는 연변백산호텔에서 OKTA천엽지회 부회장이며 조선족연구학회 회장인 리강철을 단장으로 한 재일본조선족기업가대표단을 회견했다.

서문순기부주장은 일본에 있는 조선족기업인들이 고향의 경제발전을 시종 관심하고 쌍방의 교류와 발전을 위해 기여했다면서 주정부를 대표해 감사를 표했다.

서 문순기부주장은 두만강지역국제합작개발은 새로운 기회와 형세에 직면했다면서 다음과 같이 말했다. 두만강국제합작개발에 대한 주변국가들의 흥취가 많이 농후해졌으며 실질적 대책과 행동을 취하고있다. 중국정부도 두만강국제합작개발에 대해 적극적인 태도를 보이고있으며 새로운 두만강국제합작개발계획이 곧 제정된다. 두만강지역국제합작개발과 주변국가들과의 경제무역래왕을 강화하기 위해 연변은 통로건설을 다그치고있는데 연길-일본 항로도 곧 개척될것이다.

서문순기부주장은 일본에 있는 조선족기업가들이 쌍방의 무역합작을 위해 연변을 더 많이 홍보하고 합작의 무대를 만들어줄것을 부탁했다.

리 강철회장은 두만강지역국제합작개발을 위해 일본에 있는 조선족기업가들은 자신의 역할을 충분히 발휘할것이라면서 연변의 경제사회가 급속도로 발전하면서 해외에 나갔던 많은 기업인들이 고향을 다시 찾아 투자, 창업할 날이 곧 도래할것이라고 했다.

그는 또 일본에 있는 조선족기업인들은 쌍방의 문화교류를 추진하여 투자무역이 더욱 활성화되도록 노력을 아끼지 않을것이라고 했다.

연변일보

「コリアン」と「東北アジア共同の家」

  北陸大学教授 李鋼哲

 朝鮮半島から中国・日本や米国・ロシアなどに移住したいわゆる「在外同胞」は約700百万人と言われ、半島人口の約一割が外国に移住して暮らしている。世界で最も注目される華僑・華人が4~5千万人と言われているが、中国大陸の13億の人口比では3%程度に過ぎない。清帝国の衰退で近代には中国が西欧列強の餌食になり、大量の移民を作り出したが、朝鮮半島の人々は長い歴史のなかで、周辺国の侵略を受けたり支配を受けたりする中でし移民が大量になってしまった。
終戦後、朝鮮半島に分断国家ができ、朝鮮戦争と終戦でそれが60年間も続く中、移住民は増える一方だった。彼らは移住した国が違うため移住民たちの呼び名もバラエティで、「朝鮮族」(中国)、「在日韓国・朝鮮人」(日本)、「コリョイン」(ロシア)、「コリアン・アメリカン」(米国)などがある。日本だけで見ても、「在日朝鮮人」、「在日韓国人」、「ニュー・カマー」、それに「中国朝鮮族」など多様である。
歴史的な南北首脳会談が実現した2000年以降、日本では「コリアン」という用語で南北出身を問わず統一しようとする動きが出た。大阪に最近「コリア国際学園」(KIS)も設立されることになり、「境界を跨ぐ越境人」養成を目指している。「ワン・コリア・フェスティバル」というNGO団体も設立され活発な統一運動を展開している。言葉だけでは南北および海外のコリアンを統合できるとは言えないが、少なくとも共通のアイデンティティを確立するには共通の用語が必要不可欠。
戦争と対立の時代において、「コリアン」は時代に翻弄され、自分のアイデンティティすら確立できずに生存してきたが、冷戦後の平和と共生の時代においては、国境の壁が低くなり、情報化社会になると、多言語・多文化を受容する能力に優れた「コリアン」の役割が浮上してきた。「コリアン」たちが力を合わせ、日本を含む「東北アジア共同の家」造りを推進することができるのであれば、そのパワーは無限大になるに違いない。
 
『朝鮮商工新聞』コラム2010年8月15日版に掲載

オバマ大統領の核廃絶宣言と東北アジア平和

 北陸大学教授 李鋼哲

毎年8月になると、広島・長崎の原爆被爆に関連する報道で日本のマスコミは余念がない。平和 を祈願する日本国民の声には傾聴すべきものが大いにある。ところが、日本は唯一被爆国である歴史を記憶するとともに、加害者であった歴史も合わせて記憶す べきであり、そして近隣の諸国とともに戦争被害者の気持ちを分かち合う努力をしてこそ、平和の祈願が近隣諸国と世界に伝わるだろう。
「核兵器のない世界を!」、「戦争のない世界を!」。日本人のみならず世界の多数の人は同じ心情を持っているはず。
今年の4月5日、アメリカ大統領オバマ氏が、核廃絶に向けて、チェコのプラハで大勢の市民に向けて演説を行った。「今日、私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します」と。
世界をリード(または制覇)する米国の大統領の演説であるだけに、人類に希望を持たせる面も確かにあるだろう。
しかし、核兵器をなくす理念を主張するときに、「では、なぜ核兵器は開発・拡散したのか?」を冷静に考えなければならない。核兵器は戦争と冷戦の産物にほかならない。
今日、私たちが暮らす東北アジア地域では、まだ戦争も冷戦も終わっていない。朝鮮半島はまだ分断と「停戦協定」の状態にあり、中国と台湾は分裂状態にある。そして、イデオロギー対立は今なお少なからずの人々の意識を支配している。
核 実験を行った朝鮮は当たり前に非難を受けるべきかも知れないが、核兵器を大量に保有し、または「核の傘」に守られる周辺の国が、他人に「武器を捨てろ」と 言っても、それは説得力に欠ける話であり、実現不可能に近い。核兵器をなくすためには、まず「停戦協定」を「平和協定」を変えることが先決であろう。南北 統一をしたくてもできない朝鮮半島、両岸統一をしたくてもできない中国。その鍵を握っているのは、核廃絶の鍵と同じく、アメリカが持っているのではない か。
『北陸中日新聞』2009年9月9日掲載

貨幣デノミ措置は「資本主義のしっぽ切り」か

  権力継承問題が表面化しつつある北朝鮮では、昨年11月30日に突然の貨幣デノミ措置が発表 され、世間の注目を浴びている。核開発問題や権力継承問題など国際社会に大きな影響を与え得る問題に比べると、今度の措置は基本的に国内経済問題または政 治問題に過ぎないが、政権の安定と経済の安定は近隣国としては見過ごせない問題。その意図は何なのか、その影響で経済実態および住民の生活状況はどうなっ ているのか、など諸問題が浮かび上がる。
『朝鮮新報』(在日朝鮮総連機関誌)の報道によると、今度の新貨幣発行は1992年以来の17年ぶり。 5,000ウォンから1銭まで14種類の新貨幣を発行し、住民は100対1の比率で短期間に手持ちのお金を新貨幣と交換しなければならない。当局の説明に よれば、その目的は「貨幣の流通を円滑に行い、誠実に働く勤労者を優遇すること」だという。
政府当局は2002年に「7・1経済管理改善措置」を 発表し、物価・賃金の改革を行い、勤労者の給料を30~50倍引き上げた。ところが、食糧や生活必需品の国による配給がかなり減少し、住民は自由市場(い ちば)にてそれを購入せざるを得なくなった。供給不足の経済のなかで、「計画経済」でも「市場経済」でもない「無秩序」な「市場(いちば)経済」により (筆者の定義)、物価は国定価格の50倍から100倍以上に上昇し、深刻なインフレが住民生活に打撃を与えた。
一方、市場(いちば)での自由な取 引が認められるなかで、貧富格差が急速に拡大し、商売人達が困窮した国民経済のなかで富を集めたが、今度の措置では貨幣交換の上限金額を設け、成金になっ た人々は手元の貨幣が紙屑になってしまう。「貨幣の流通を円滑にする」措置とは言うものの、経済と住民生活の混乱を招くことは想像に難しくない。
前世紀90年代初頭には「羅津・先鋒自由経済貿易地帯」を創設し、経済関連の諸法規を改正し、その後は物価・賃金改革を行い、一見市場経済を導入する方向で動くように見えた政策方向は、ここに来て金持ちと市場に対する取締りを強化し、逆方向に向かうように見られる。
北陸中日新聞2010年4月12日に掲載

2010年10月24日日曜日

(連載)日中両国の対応は、このままでは両敗具傷(3)

  今春に起こった南北朝鮮間での天安艦事件をめぐる対立構図を見ると分かるように、冷戦時代の「二つの鉄の三角」が再現されたかのような国際関係が、そこに ある。残念ながら東北アジア地域では冷戦が終わっていないのである。日本で20年間暮らした筆者が、日本で見ても、韓国や中国で見ても、それを強く感じざ るを得ない。中国に行くと、ホテルのテレビで毎日必ず抗日戦争の映画を見ることができ、いやな気持ちになる。韓国に行くと、必ず竹島(独島)問題を取り上 げる人がいて「日本は歴史を反省していない」と言う人がいる。植民地にされた経験がある韓国人のその気持ちは、理解できなくもないが、どこか今の時代にそ ぐわない気がする。

日本はどうなのか。昨年に発足した鳩山政権は、自民党路線から一歩踏み出し、「東アジア共同体」構築を目指すとし、さらに「日米関係の見直し」を主張し た。しかし、普天間基地の海外や県外への移設は実現するはずもなく、やがて政権の座から下ろされた。それにはアメリカの影が見え隠れしている。日本がアメ リカとの距離を置いて、東アジア諸国が固まることは、アメリカの国益に反すると見ているから、アメリカが妨害するのは予想できたことだ。

その後任の同じ民主党の菅直人政権の外交を見ると、非常に曖昧で、実際やっていることを見ると、自民党時代に戻ってしまったと思わざるを得ない。自民党 の強硬派と同じ考え方を持っている人を外務大臣に任命したからなおさらだ。戦後60年の自民党路線をくつ返すために政権をとったはずの民主党だが、結局対 外路線では自民党となにも変わらないのではないか。経済的に中国に追い抜かれることになると、恐れを感じて自信喪失になった勢力は、さらにアメリカへの追 従を選択せざるを得なくなったのだと見受けられる。

結論を述べると、領土問題や領海問題は、現時点では解決方法がないのである。関係各国の為政者の賢明な選択は、現状維持またはトラブル防止のための装置 を相互に講ずることである。政治家たちが領土主張の主張を繰り返しても、本当の国益にはならない。隣国との関係を緊張化させることは、国民にとっては迷惑 なことではないか。将来的な唯一の解決方法としては、前途多難かも知れないが、EUのような共同体を目指すことである。「共同体」や「連合」になったら、 国家主権は限りなく弱まるので、領土問題も、主権問題としての意味が次第に薄れるか、なくなってしまうだろう。(おわり)

(連載)日中両国の対応は、このままでは両敗具傷(2)

その後、事件は周知の通り推移してきた。いろんな意見が飛び交っている。

私の見解では、まず日本の海上保安庁の監視船が衝突を理由に逮捕したのは、それほど問題の種にはならなかったはず。領土・領海紛争問題で他の国の間でも よくある行動である。問題は、その後の処理方法であった。日本は処理方法を誤った、と私は考えている。「法律に則って逮捕、拘留した」と言っても、国際関 係は国内法律で解決できる問題ではない。これは国際関係の常識である。かつて北朝鮮の金正日氏の長男が偽造旅券で日本に来たときも、いくらでも逮捕できた はずだが、日本政府は政治的な判断で迅速に送り返したので問題にならなかったのである。

日本は、中国人船長を逮捕したまま、長時間を経過させたが、それは中国にとっては挑発行為に見えただろうし、意図的に見えたかもしれない。何かを企んで いると見えたかも知れない。「だったら、徹底的に対抗してみようお」というのが、中国側の対応ではなかっただろうか。中国の諺に「以其人之道、還治其人之 身」というのがあり、「相手のやり方で相手をやっつけろ」という意味で使う。まさに、中国はその手法を実行して、日本人会社員4人を逮捕し、この対抗方法 で一応問題が解決に向かったのは言うまでもない。

この問題の裏にはなにがあるのか。それは近年時とともに現れてくるナショナリズムの台頭である。数年前に私は日本のある華人系新聞のインタビューを受け たときに「愛国主義(ナショナリズム)の幽霊が東北アジアを徘徊する」と日中韓での対立構造を分析したことがある。先進国と言われる日本、先進国の仲間入 りをやっと実現した韓国、急速に躍進する中国。経済的には東アジア時代を謳歌しながらも、それぞれの国のナショナリズムは根強く存在している。領土問題に 歴史問題も絡んで、なかなか信頼関係の構築ができない東アジアの諸国。その根底にはこの地域をいまだに徘徊している、ナショナリズムの幽霊がいるとしか言 えない。(つづく)

日中両国の対応は、このままでは両敗具傷(1)

  尖閣諸島の領有をめぐって、日本に対して中国と台湾が対立姿勢をとっている。お互いに「自分の領土だ」と幾ら主張しても、問題が解決される道筋が見えなけ れば、建設的な対応であると見ることはできない。主張しても、問題解決の見込みがないのが、領土問題である。お互いに主張を繰り返す、そして一部の行動を 伴うことは、トラブルを起こすことにしかならず、お互いの緊張関係を深め、結果的には「両敗具傷」(どちらも損する)ことにしかならない。せっかく、東ア ジア地域協力や共同体構築へベクトルが向かっているのに、領土問題で国家間の関係に亀裂と不信感を高めることは、賢明な行為とは言えない。

東アジアには、尖閣諸島以外にも竹島(独島)問題、北方領土問題、南沙諸島問題などたくさんの領土、領海問題があるが、これらは東アジアの近代の混乱し た国際情勢の中で残された問題である。現在の国際法や二国間関係では、いずれも解決し難い問題であることは周知のことである。ならば、関係諸国はこのよう な問題は、なるべく冷静に処理し、仮に問題が起こっても、沈静化する方向で努力するのが本来の道筋である。

この10年間、日中韓3国は首脳会談も実現しており、来年はソウルに3カ国の国際機構(事務局)を設立することでも合意し、また日中両国間では「戦略的な互恵関係」を構築することも宣言されている。
かつて「日中平和友好条約」を締結するために、1979年に訪日した中国のトウ小平氏は「釣魚島(尖閣諸島)問題は、われわれの知恵では解決する見込みが ない。棚上げしといて、次の世代に委ねれば、解決する方法が見つかるだろう」と問題解決方法を提案し、それが日中両国の暗黙の合意になっていた。それ以 来、日本も中国も尖閣諸島で問題が起こったときには、なるべく沈静化する方向で対応してきた。

しかし、今度は日本側が中国側の漁船の船長や船員を逮捕し、長い間拘留してしまった。なぜなのか?ちょうどこの時期に筆者は、中国でニュースを聞き、不 吉な予感を感じた。その後、北京大学であるシンポジウムがあり、中韓両国の識者が大勢参加した。日本からの参加者は筆者だけであり、会場では問題提起はな かったのだが、懇親会の場で中国や韓国の参加者たちから「日本は、なぜ中国の人を逮捕したのか?理解できない」と質問されたのだが、その場で筆者も答えに 詰まってしまった。一つは、衝突事件だと言うが、真実はどうなのか分からない。今でも筆者は分からない。一民間漁船が海上保安庁の監視船にぶつかってくる とは、頭が狂ったものでなければ、論理的にあり得ない話だと思う。もうひとつは、日本が何か意図的にやったのではないかと思ったが、それらしき根拠が思い つかなかった。(つづく)